鈴木小学校の古代の泉からの一滴を              小平の大河へ

     
  【 平成24年  9月 定例会-09月07日-05号 】
   永田政弘一般質問
『鈴木小学校の古代の泉からの一滴を小平の大河へ』

○副議長(浅倉成樹)
 次に、永田政弘議員の一般質問を許可いたします。
 なお、永田議員から、質問を行うに当たり資料を提示したいとの申し出があり、議長においてこれを承認いたしましたので、御案内いたします。

○20番(永田政弘) 
20番、永田政弘です。2問質問いたします。再質問は一問一答方式で行います。

 大きい1問目、鈴木小学校の古代の泉からの一滴を小平の大河へという大きな題目でございます。
 小平市には鈴木遺跡があります。今回の質問は、昔々3万年前この地には水が流れ人が住んでいたと言う、というイントロで始まることになる物語りとなります。
 改めて、鈴木遺跡とは、昭和49年6月に鈴木小学校建設予定地で発見されました。石器や焼れきなどが数多く出土し、ここに遺跡が眠っていることがわかりました。この遺跡は鈴木遺跡と名づけられ、その年8月から発掘調査が行われましたが、この発見によって、それまで八小遺跡の竪穴住居跡を除けば、江戸時代前期の玉川上水の開通による新田開発から始まると思われていた小平の歴史が、約3万数千年前の旧石器時代にまでさかのぼることが明らかになり、貴重な資料を提供する遺跡となっています。

 そして今、鈴木小学校には、大河の一滴、また古代の泉と名づけられた水がこんこんとわき続けています。この鈴木遺跡の歴史と鈴木小学校湧水をつなぎ合わせますと、3万年前というはるかはるかの悠久の時を超えてこの小平の地が生き続けていると、史実に沿ったロマンをはせてもいいのではと思います。

 源流湧水復活による小平の歴史の再認識、小平市鈴木小学校の古代の泉構想等、これまでの小平の歴史を、350年という物差しではなく、はるか旧石器時代、すなわち3万年前に既に人間が生活していた小平命の水源流の歴史を大事に、重要に、大切にとらえる発想で、まさに小平だけが持った貴重な財産、古代の泉の一滴が小平の大河となることを願い、質問します。
 1、現在、石神井川の源流部は、小金井カントリー倶楽部内に移っていると鈴木遺跡しおりには説明されているが、鈴木小学校の湧水が悠久の時を超えて今なお流れている源流と考えられることはできないか。2、この湧水にもっと光を当て、その歴史や源流を調査することができないか。3、これが証明されれば、この小平の台地が他地域にはない脈々と続く命の水の壮大な歴史に日の目を当てることができると考えるが、どうか。4、この湧水を初め、この地域一帯に眠る貴重な文化財や歴史を、地域や市民の方々を初めとしてより広く周知する必要があるのではないかと思うが、どうか。5、世界的にも貴重なこの一帯の文化、歴史の博物館構想はいかがか。6、壮大に3万周年記念式典の開催の考えはどうか。


○教育長(阪本伸一)
 永田政弘議員の一般質問にお答えいたします。

 初めに、鈴木小学校の古代の泉からの一滴を小平の大河への第1点目の鈴木小学校の湧水を石神井川の源流と考えることはできないかでございますが、現在の石神井川は、花小金井南町の小金井カントリー倶楽部付近を源としております。鈴木小学校の湧水は、校庭の造成等により東向きの斜面を切り下げたことによって、河川などの地表の水が地中に浸透して形成された地下水脈、いわゆる伏流水がわき出したものであり、そういう意味では石神井川の源流の一部をなすものではないかと考えております。
 第2点目のこの湧水の歴史や源流の調査でございますが、小平市は全域が武蔵野台地上に所在し、地下には伏流水が東に向かって幾筋も流れていると考えられております。この幾筋もの地下水脈と水路が現在の石神井川の上流端につながっており、鈴木小学校の湧水もこれにつながっていると推定されますが、具体的に調査することは難しいものと考えております。
 第3点目の小平の台地が他地域にはない脈々と続く命の水の壮大な歴史に日の目を当てることができるかでございますが、今までの遺跡調査から、人間の暮らしに欠かすことのできない水資源の存在が後期旧石器時代の鈴木遺跡を成り立たせてきたことは、一面平らな小平市域に取り込まれた石神井川の流路が物語っております。この流路は、江戸時代には玉川上水から引いた用水にかけられた水車の排水路として機能することとなり、水車は火薬づくりに転用されるなど、この地域の人々のさまざまな営みを物語る貴重な存在となったものと認識しております。
 第4点目のこの湧水を初めこの地域一帯に眠る貴重な文化財や歴史の周知でございますが、鈴木遺跡を初めとする地域の遺跡や歴史に触れていただくためのイベントとして、本年11月に鈴木遺跡と八小遺跡周辺を歩いて回るウオーキングイベントを実施いたします。これは市制施行50周年記念事業の一環としての催しであり、また、鈴木遺跡が本年3月21日に東京都の史跡に指定されたことを記念する催しでもあります。このような催しのほか、さまざまな機会をとらえて文化財等の周知に努めてまいります。
 第5点目の文化、歴史の博物館構想でございますが、鈴木遺跡資料館では、遺跡と水のかかわりや地域の歴史について学んでいただけるような展示や解説書、映像資料を用意しております。また、小平ふるさと村やふれあい下水道館でも、地域の歴史と人々の暮らしを伝える展示を行っておりますことから、博物館の設置は考えていないところでございます。
 第6点目の3万周年記念式典の開催でございますが、昭和49年に発見された鈴木遺跡は、平成26年で発見40周年を迎えます。そういった時期をとらえながら、御提案の趣旨も含めまして、何らかの記念行事の実施についても考えてまいりたいと存じます。

○20番(永田政弘) 
ありがとうございました。では再質問させていただきます。

 まず、鈴木小学校の古代の泉からの一滴を小平の大河へでございますが、今回は、最初はそうするつもりはなかったんですけれども、2問とも小平の水ということが大きなテーマとなりました。これは結果でございますが、私の中では、大自然の流れているだけの水、心をいやしている水とは思うんですけれども、そういったことを今回、エネルギーとか、観光とか、歴史とか、そういったことでつながってやらせていただくことになったわけでございます。

 まず、3万年前、この小平に人が住んでいたということが鈴木遺跡の発見によって証明されたのでございますけれども、鈴木遺跡の範囲というのが南北約670メートル、東西約600メートルに及ぶ、東に開く馬蹄形をしています。これは、現在の石神井川のかつての源流部を取り囲むような場所で人々が生活を営み、結果、このような形に遺跡が残されたものです。この源流部の位置が、今回質問します鈴木小学校の通称古代の泉となるものと考えております。これは子どもたちに公募した中から選ばれたものでございます。
 説明だけ先にさせていただきます。これは実は平成7年発行された鈴木遺跡の解説に、石神井川の当時の水源部は鈴木小学校のグラウンド付近にあったと思われますが、現在ではより下流に、つまり東方約1キロメートルのゴルフ場の中に移っているものと考えるとの記述があります。そして平成19年、鈴木小学校の敷地内でわき水が見つかりました。これまで言われてきました馬蹄形の中心地から、まさに古代から営々と流れ続けているであろう水が出てきたのです。当時の新聞には、既に数年前からコンクリートの一部に水がつくようになったとのことが書いてあります。このわき水は縦2メートル、幅、最大で70センチメートル、水深は30センチメートルから40センチメートルくらいで、今は池となっています。現在は金魚、メダカ、水草等が生息し、澄んだ透明な水が気持ちを和らげております。
 皆さん、見たいでしょうから見せてあげますけれども、実は先に説明させてもらいましたが、要は扇状というところが、鈴木遺跡資料館に行くとわかるんですけれども、今まで源流と言われたところをずっと、鈴木遺跡しおりなんかにも説明されてあったのが、鈴木小学校というところだと言われて、しばらく水が出ていなかったわけです。それが平成19年に出て、今、こんこんとわき出ているということでございます。
 現在の鈴木小学校の湧水地、ここの鈴木小学校のわき水にこういう表示が書いてあって、大河の一滴ということも表示されております。今は、さっき言いましたように小さな池があって、そこに金魚がいて、メダカがいて、本当に澄んだ感じで、これから質問したい中に、この水がずっと流れ続けているわけです。流れ続けているので、これをもったいないからどうしようかというのが今回の大きな趣旨でございます。
 また戻りますけれども、湧水地と言われている、さっき調査ができないということだったんですけれども、今、小金井カントリー倶楽部が石神井川の源流部と言われていたのを、実はここで流れているということは、その前にさかのぼった史跡、言葉の中で、鈴木遺跡しおりに書いてあるように、源流部は鈴木小学校のところではなかったのかと言われているのを、今回ここで証明したんじゃないかということをきょうは言いたいわけです。結局、今までそうだろう、ああだろうと言ったことの中で、要するに3万年前に既に水が流れていたということで、ここに人が住んでいたということが鈴木遺跡です。そこで鈴木遺跡に、3万年前流れていたのが途中で伏流水となっていたんでしょう。がけを削ったからどうのこうのじゃないんです。要するに脈々と、地上には出てこなかったけれども、この3万年、小平の底地を流れ続けてきたと。それで、350年とかそういう問題じゃなくて3万年前に流れていた。それが、ずっと水が流れていたのがここに出てきたんじゃないかということで、今回質問させていただいているわけです。
 それで、今、湧水が4カ所ぐらい出ているんです、さっきの写真の中で。その4カ所から水が源流として流れている。こんなすばらしいことはないんじゃないですかということなんです。これをほったらかしておくことはないと。どこの地域に行ってもそういった湧水地というのが、さいかち窪とかいろいろ、私も雨が降ったときによく取材なんかに行くんですけれども、そういったところは雨がたくさん降ったときしかできませんが、これはずっと、扇状地の中心地の、鈴木小学校のまさしくここ--後で皆さん地図を見てください。そこに当たるんです。源流が出ているというところの、昔から説明されているところの、そこが鈴木小学校のところなんです。
 それで、八小遺跡とかこういうのがありますけれども、八小遺跡も奈良時代とか平安時代ですから、3万年前の旧石器時代ということよりももっと後の時代ですから、これはちょっと違うと思いますが、そういうことで小平の歴史を、皆さん、3万年前に戻って、これで考えていきましょうということなんですけれども、先ほどちょっと言葉がはっきりわからなかったんですが、源流と考えられることはできないかということで、源流ではないかということで、もう一回きちんと、源流とは当然はっきりわからないでしょうけれども、今説明したように、鈴木小学校の水がとうとうと出ているのが源流として、断定はできませんが、そこらあたりをもう一回説明してください。

○教育部理事(有馬哲雄)
 石神井川は、都内の中小河川の代表的な川でありながら、これまでまとまった形で源流について触れられていないんです。さまざまな文献を見てみますと、かつては鈴木町であったり、小金井カントリー倶楽部敷地内の湧水であるとか、御幸町、小金井カントリー倶楽部の西側が源流、いろんな説明がされてきております。石神井川の源流は、起点と東京都は呼んでいますけれども、起点は、先ほど教育長答弁にありましたように、小金井カントリー倶楽部付近になっております。そこも以前は水がわいていたんですが、今はかれている状態でございます。そんなことで、どこをどう流れていたのかまでは、いずれの文献も触れられていないというところが現状でございます。
 ただ、石神井川の流域の自治体でつくっております石神井川流域環境協議会というところが出しておりますふれあい石神井川散策マップ、この中にも現在の鈴木小学校のあたりが源流であったと言われていますと、そういう表記もあるわけで、小平市においては、20年前ぐらいになりましょうか、新小平駅が水没したというようなこともございましたけれども、平らなために、小平は武蔵野台地という上に立っておりますので、どこを掘っても伏流水みたいなものが出てくるのではないかというようなことも言われておりますけれども、いろんな歴史的な背景を見ると、やっぱり鈴木町あたりが、鈴木小学校の今わいている湧水あたりが、きちんと歴史学上、学術的にもここというようなあれは出ておりませんが、いろんなものを総合的に見ますと、やっぱりそこは源流ではないかということでとらえてよろしいのかなというふうなことを考えております。

○20番(永田政弘) 
わかりました。
 でも、鈴木遺跡資料館に行って、一番資料があるところが鈴木遺跡資料館とするならば、それは地籍がずっと、断面図であったりとか、それでこれだけ外に向かって源流が鈴木小学校のところだと言っているわけじゃないですか。わからないようだったらそこまで言えないわけです。でも、ほとんどの資料を見ても、そこのところが源流ではないかということが、今まで調べた結果でしょうね。地図にもありますように、こうやって扇状がたくさん、川はいっぱいあっても、その中の中心部はどこかといったときに、こういう図まで出ているわけです。扇状の図なんですけれども、そこの中心点に向かっている。こういうのも、わからないならば出してはだめじゃないですか、貴重な資料とするならば。でも、ここの中でずっとたどっていくと、鈴木小学校の今わき出ている水にたどり着くということ、要はこれが偶然なのかどうかということです。
 せっかく今こうやって、平成19年から、工事であろうが何であろうが、たまたま出たのかもしれませんけれども、ずっと伏流水として昔から、3万年前から流れているとするならば、やっぱりここで一つぼんと決めるというか、ブルーベリーのときも南口に立てたとき、あのときだっていろいろあったんですけれども、立てて、あそこが今、起点になっているわけです、何月何日にということで。くわ入れ式も我々も参加しながら見ました。そういう起点が大事なんです。だから、せっかくこういう源流が出てきた。たとえかれてもいいじゃないですか。
    〔「かれちゃうよね」と呼ぶ者あり〕
 かれちゃだめなんですけれども、かれても、今、我々は生きているわけです。我々があと3万年も生きているわけじゃないので、今ここでやって、出てきたよ、小平の台地に3万年前の水が来ているよということをみんなで共有すると、これはすごい観光資源になるんじゃないかということです。
 だから、学問的に調査はできないですかと。いろんな形で、完璧ではないかもしれませんけれども、あの水を分析したら3万年前のあれが出てきたとか言えないですけれども、そういうことも含めて、今の時点で、たとえ20年でも30年でもその水が出れば、それはやっぱり小平市の我々の大事な共有の財産になるんじゃないかということが今回の大きな趣旨なんですけれども、そこらあたり、もう一回お聞きします。

○教育部理事(有馬哲雄)
 この付近が源流ということは間違いないところでございまして、学校においても、先ほど御披瀝ございましたように命名をしまして、いろんな活用をこれからも考えていきたいという考えもございますので、そのようなことで、鈴木遺跡に付加価値をつけるという意味では、この水の活用も効果的かなというふうに認識しております。

○20番(永田政弘) 
ありがとうございます。我々もいろんな視察に行って、奈良市などに行っても、奈良遷都1300年ですか、そういったこともうらやましいと思っていましたけれども、今、私の頭の中では、もう3万年に頭を切りかえましたので、遠くに行って--小平の歴史はもういいですね、3万年でいきましょう。そういうことでございます。
 それで、今、水が流れているということを言いました。今その水がどうなっているか御存じですか。

○教育部理事(有馬哲雄)
 私も学校訪問とかで学校に伺ったときに、いつも見ておりますので、先ほど御披瀝ございましたように、魚も泳いでいて、水もかれない状態であるということは確認しております。

○20番(永田政弘) 
要するに水が流れて、そのままマンホールに行っているんです。4カ所からどんどんどんどんわき出ているんだけれども、その水がマンホールに行ったまま、これがもったいないんじゃないですか。貴重な、ましてや3万年の水だとすると。それを何か活用できないかということなんです。例えば、いろんなところを我々もビオトープとか視察に行ったりして、市内も小学校も幾つかありますけれども、水の流れとかというのがなかなかないです。とめて水道水をやったりとか。残す一つの方法として、子どもたちのビオトープ構想とか、そういった施設ができないかということを質問いたします。

○教育部理事(有馬哲雄)
 今、ビオトープという御提案でございますが、ビオトープは市内のほかの学校でも何校か設置しているところがございます。ビオトープは理科であるとか環境であるとか、子どもたちの興味、関心を引くための生きた教材ということでは、非常に教育的な効果もあろうかと思います。ただ、ここでつくりましょうということはなかなか言えないところで、学校現場あるいは教育委員会内部の調整を得ながら検討させていただければと思います。

○20番(永田政弘) 
ということは、水車の水路の跡の地図もあるんですけれども、こういった形で水路を使った、昔を復元しながら水を流して、今言われましたように、ビオトープというのは生態系が一つその中にあるわけですから、そういったものを子どもたちに、要するに今水が流れているのをどうしようかと思うかどうかというのは、どうですか。流しっ放しでいいのか。

○教育部理事(有馬哲雄)
 今、下水のほうに流れている水をどうしようかというところは大きな問題だと思います。これについては、活用というところでは、先ほどのビオトープ等々の活用が予想されるわけですけれども、学校施設の管理面からして、いろんな制約もあるのかなというふうに考えていますので、水の流れについては、もうちょっと私どもも研究していかないといけないと考えております。

○20番(永田政弘)
 ここで考えていただきたいのは、鈴木小学校だけの財産ではないと思っているんです。小平市全体の財産としてとらえられないかということなんです。だから、ほかのところがそういうところがあればいいんですけれども、歴史に残っている源流というのはここですよね。3万年の時代ということを考えたときには、鈴木小学校とか、学校とか社会教育とかという部門でしょうけれども、そうじゃなくて、小平市全体でそこを、何とかこの水を大事にして、周知という言葉でしょうけれども、もっともっと知ってもらうということが大事だと思いますので、小さなことでは考えないで、どんと外に向かって、小平市に来たときには必ずそこを見るくらい--やっぱり3万年というのはすごいと思います。私も計算したんですけれども、3万年というのは何日生きるか、70年生きたとして430回生き返らなきゃならない。日数にすると1,095万日、これが3万年という計算をしたんですけれども、それくらいの昔からのが脈々とあるということは、小平市全体で大きな気持ちで考えていただければと思います。
 次に移ります。博物館のことなんですけれども、今、箱物は私もこれ以上つくるというのは、それは思っていますので、そこで平櫛田中彫刻美術館のときのスタートを見てみますと、私が、平櫛田中彫刻美術館が余りにも表に出ていないということで、箱物はある程度ありましたけれども、ウエブ美術館ということで提案させてもらいました。最初は、梅林があって梅のときとか、本当に何枚かだったんです。
 そこで、どうせそこで箱物ができないとしたら、ウエブの鈴木博物館、この構想はいかがでしょうか。

○教育部理事(有馬哲雄)
 収集型のハードな博物館というところは厳しいという状況でございまして、教育長答弁のとおりでございますが、今後はむしろ、現代の情報技術を活用しながら、今ある各施設を横につないでいくというか、ネットワーク化していくということでは、ウエブを活用するということは有効だと思っております。岩手県におきましても、インターネットでいわてデジタル・エコミュージアムというような画面が出てきまして、それをクリックするといろんな写真とともに解説が出てくる、そういう事例もございますので、これからはそういったことを研究しながら、それを見て、きっかけとなって現場の施設に足を運んでいただけるというようなことにもつながっていくと思いますので、それについては今後検討させていただきたいと思います。

○20番(永田政弘) 
まさにそうでして、平櫛田中彫刻美術館のときも、今はすごい立派なのができています。鏡獅子の格好いいのが出ていて、それが今、平櫛田中彫刻美術館というのは現物を見ないと--これも最初は、著作権の問題とか結構あったんですが、今は作品がいっぱい並んでいます、これはどこかで解決したんでしょうけれども。
 今、鈴木遺跡と検索して、インターネット上にどのくらいのが出ていると思いますか。

○教育部理事(有馬哲雄) 
そこまで検索してございませんでした。申しわけございません。

○20番(永田政弘) 
本当に出ておりません。史跡の中の写真と、それからKSNCというのがありまして、そこで何ページか出してもらっています。それくらいしかないんです。あと小平市遺跡一覧ということで、名前がちょろちょろっと書いてあったくらいで、今までそこに目の向け方が違っていたのかもしれないですけれども、さっき言いましたように、私も今回改めていろんなことで勉強させてもらったんですが、これだけのものが小平市にありながら、それを全然活用していないということが、私も鈴木遺跡に何回か行ったことはあったんですけれども、水ということが私の中でつながっちゃったものですから、どうしてもそこから発想するとどんどん広がっていくんじゃないかと思います。それとあと、あそこの地域一帯を含めていろんなことが、まだまだ発掘されていないものもあるんでしょうけれども、地域一帯の構想。史跡にも指定されたわけでしょう。そこのところを説明していただけますか。

○教育部理事(有馬哲雄)
 鈴木遺跡につきましては、これまで何十年もかけて遺跡の発掘をしてきました。そういう報告書ですとか写真ですとか、そういうのが多数ございまして、これまでここ2年、3年かけて、緊急雇用の事業を活用しまして全部整理をし、時系列にすぐ検索もできるような整備を行って、最終コーナーに今差しかかっているところでございます。ですから、そういったものもウエブ上で、市のホームページ等を使って今後皆さんにごらんいただけるという準備段階でございますので、もうしばらくしますと見られるような形になろうかと思っております。
 鈴木遺跡は、ことし3月に東京都の史跡に指定されたわけでございますが、規模的にも関東では指折りの遺跡でございまして、国内外からも高い評価を得ている史跡でございます。そういう面では、遺跡というと、1回見ますと、次にまた行ってみようというようなところがないところがちょっと残念なところでございますが、水の問題であるとか、そういったことを、先ほど申しましたように付加価値として絡めまして、文化財と歴史をコラボレーションさせて皆さんに知っていただく。そういったことをいろいろ工夫しながら保存、啓発に努めてまいりたいと、このように考えております。

○20番(永田政弘) 
ありがとうございます。まさに大事な資源の中でも、小平市にとって超一級の資源だと私は思っておりますので、これからまた質問する機会があるかもしれませんけれども、何とか頑張っていただいて、着々とよろしくお願いいたします。本当に子どもたちが一生懸命守っていますので、子どもたちと周りの--3回行ったんですけれども、そのときも地域の方が来て、本当に大事にしているんだと、そういうことを聞いていますので、子どもたちが一番喜んでいるんじゃないかと思いますので、どうぞそこらあたりも目をかけてあげて、今後の教育のために、潤いの場というか、手をかけていただきたいと思います。